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長万部写真道場研究所

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沖縄の瀬長亀治郎さんと長万部

開拓作業で掘り起こされた根株

昭和29年(1954) 二月 平里開拓地の開拓が進み、排水による泥炭地の沈下に従って、比較的高農地約四◯haにわたり一面に埋木があらわれ開墾の障害になってきた。埋木は反当り二◯◯株から三◯◯株もあり直径一m近い松の大木の根で、関係者の間でチェーンソーによる切断や火薬による抜根が考えられている。(『長万部町史年表』昭和48年)

長万部町には、終戦直前に国の緊急募集を受けて入植した沖縄出身者が拓いた、平里という農業集落があります。彼らは長万部町移住前は、出稼ぎ者として大阪に暮らしており、農業経験のない方が殆どだったようです。入植場所として農地としては明らかに不適な湿地帯を当てがわれ、開拓の一番最初期に、10アールあたり約100本はあったというエゾマツなどの巨木の根を掘り起こす作業が行われました。彼ら沖縄出身の長万部町開拓民の苦闘は、長万部写真道場の主要メンバーだった河東篤、澤博によって掛川源一郎に紹介されたことで、掛川に四半世紀に渡って記録されることになりました。その結果、写真集『大地に生きる:北海道の沖縄村』という本が生まれました。掛川のこの写真集のシリーズは彼の代表作となっていて、いまでもたびたび展覧会などで紹介されています。

その写真集を開くと、一番初めのページに記載されている写真は、昭和32年に撮影された「抜根完成を記念して村の入り口に立てられたエゾマツの根株」です。3メートルに及ぶ巨大な根株の幹の中心に「不撓不屈」という四文字が墨書きされています。

この写真を見た沖縄の古書店「言事堂」店主の宮城さんから、米軍占領下の沖縄で政治家になり、民衆とともに戦っていた沖縄のヒーローのような存在、瀬長亀治郎氏という人物がいたことを、教えていただきました。
瀬長氏が生前好んで揮毫し掲げたのは「不屈」という二文字だったそうです。
沖縄にはそれにちなみ、「不屈館」という瀬長亀治郎関係資料を公開する施設が2013年にできました。この施設ができた場所のすぐ近くに言事堂があったので、ちょうど出来てすぐの時に、こんなものもあるよ〜とご紹介いただいたのでした(言事堂は現在別の場所に移転)。
http://senaga-kamejiro.com/index.html

いま、その瀬長亀治郎さんのドキュメンタリー映画が日本全国で上映されているようです。

映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』
http://www.kamejiro.ayapro.ne.jp/

各所で公表上映中のようです。道内では、札幌のシアターキノ、苫小牧のシネマトーラスの名が上がっていますね!
ぜひご覧ください。

映画の詳しいレビュー
http://webneo.org/archives/43684

まだ不屈館に足を運ぶ事はできておりませんが、瀬長氏の大きな影響力をこの映画の紹介で改めて知りました。
瀬長氏の存在を踏まえて改めて考えてみると、宮城さんのご指摘通り、かつて平里集落の入り口にあったエゾマツの根株に記された「不撓不屈」の文字は、沖縄の民衆が求め瀬長が象徴した不屈の精神の意を受けて、大地との戦いを続けていた開拓者たちの故郷への連帯や自分たちの出自のよすがを示すものだったのではないかと思わずにはいられません。

掛川が撮影した根株のモニュメントは既に朽ちており、いまは写真でしか見る事ができません。
今回ご紹介した長万部写真道場の根株の写真は、モニュメントとは別の根株と思われますが、こういうわけで、平里で撮影されているはずです
(追記 2107.01.01 この写真、まさに平里の埋木のモニュメントそのものでした!幹上部に「不撓不屈」と墨書きされているのですが、墨がほとんど落ちているみたいです。)


おまけ


『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』トレーラー


不屈館の公開している瀬長亀治郎氏紹介動画

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