12月の投稿から、たいぶ間が空いてしまいました。
変わらず、地道に活動を続けていました。
実は4月から主宰者中村が長万部に引っ越しなおしました。
保管している長万部写真道場の資料すべて、長万部に持って帰ってきました。無論、研究所も今後の所在地は長万部町になります。
まさに現場そのものにいることで、整理作業だけでなく調査研究を進めていければと思っています。
今後とも応援よろしくお願いします。
さて、最近の自分の写真関係の動きが、なかなか一個一個記事にできていなかったのですが、このままでは未更新期間がさらに伸びてしまうので、まずは要約してご報告します!
・昨年秋に「北の開拓写真研究協議会(仮称)」を発足。
掛川源一郎写真委員会とも連携して、掛川写真の調査やアーカイブ等も視野にいれ活動していく予定です。
概要というか基本構想についてはこちら。http://hsp-web.jpn.org/index.php/about/about
・長野、満蒙開拓平和記念館に行ってきました。
協議会メンバーになっていただいた高橋さんからお誘いをいただいて、行ってきました。長野県は、満州へ渡った方が都道府県ごとの割合で一番多く、戦後引揚者も長野に戻る方がたくさんいらっしゃったとのこと。戦後開拓跡地で、第七サティアン跡でもある自然公園「富士ヶ嶺公園」にも行くことができました。
開拓とはなにか?移民とはなにか?という問いを立て直す機会になりました。
個人ブログで記事にしました。http://eminakamura.blogspot.jp/2017/04/blog-post_12.html
・大阪、大正区にいってきました
掛川源一郎が長万部の沖縄移民を撮影した代表作「大地に生きる」の被写体になったN氏の足跡をたどれないかと思い行ってきました。OCC
研究員岡田さんにお会いして、大正区にある関西沖縄文庫までご案内していただきました。また行く機会を作ってもう少し見てみたいです。
これ以前には、N氏の出生地沖縄県本部町を訪ねたこともあります。その時に強烈に思った、沖縄でも長万部の写真展をやりたい!という気持ちも、いまだ持ち続けています。
・鳥取、植田正治写真美術館、塩谷定好写真記念館に行ってきました。
鳥取に行く機会があったのでレンタカーを借りてあちこち見てきました。たまたま偶然、植田が写した大山山麓の戦後開拓地の情報を掴むことが出来、その現地にも行ってくることができました。
・長万部町、長万部町教育委員会、長万部アイヌ協会へご挨拶に行ってきました。
長万部写真道場の作品の、町内展示を目指しており、公共施設での展示の可能性などご相談しに行って参りました。町の歴史資料としての意義も認めていただき、活動に対してもご理解をいただけたと思っています。町内展示については大きく前進した感があります。
・澤博の遺族の方のお家で新しく写真と資料を回収。
ありがたいことに、新たに出てきた資料などまとめてくださっているようで、「まんず持ってってけれ〜」と快く受け渡してくださいました。がんばりま〜す。
・東京、都内図書館にて一回目の文献調査を実施
東京にのべ4日文献調査に行って参りました。長万部の作家がどの雑誌に主に投稿しているか不明だったので、「アサヒカメラ」「カメラ毎日」の目次を浚いました。写真美術館の図書館には、この2誌の上下半期ごとの総目次だけがコピーされ綴られていて、まずはそちらを見たというわけ。特に、「カメラ毎日」は道内作家の投稿が慣習的に多かった雰囲気を感じて、創刊号の1954年から見られる分だけ、月例審査欄の予選通過作までつぶさに見ていきました。掛川源一郎、沢博、前川茂利らの投稿作品タイトルなど収集できました。
全ては見られなかったのでまた秋にでも東京に行って調査の続きをしようと考えています。
墨田区のアートスペースあをば荘に滞在させてもらいました。本当にありがとう!
・協議会メンバーと室蘭市、伊達市を調査。
occ研究員の大友さん、メタ佐藤さんと行動。室蘭の港の文学館にて掛川源一郎関係の写真作品や文献資料のコレクションを少し閲覧。
伊達では、伊達市の噴火湾文化研究も見学させていただきました。伊達カルチャーセンターに掛川作品の展示コーナーがあり、そちらも見学。
駆け足でのご報告ですが、こんな感じで、ベース作りのような活動をしていました。
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