あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
中村です。
年末年始は長万部へ帰省しておりました。
元旦は澤さんのご遺族Kさんの元へお伺いしてきました。
今回は年末にスキャンし整理用アルバムにまとめた121枚の手札サイズの写真を持参。一旦アルバムをじっくり見たいということで、そのままお渡ししてあります(スキャン済み)。
写真の中に名前のわかる人がいたりするからか、どこらへんを撮ったものだろうなとわかるからか、澤の写真をめくっていると写された人たちや土地に対する親しみが心の底から湧き出てくるような気がしてきます。
Kさんも、私以上に親しみを込めて、ルーペを片手に懐かしそうにゆっくりとページをめくっていました。
Kさんは私の両親と青春を共にした友人であり、澤の麻雀仲間だった祖父も含め、我が家との親交がもともとあった方だそうです。私自身はまだおむつも取れていないような幼い頃にお会いしていたそうなのですが…。頻繁にお会いしていたわけではないのでご本人に対しての記憶はさっぱりありませんが、母の20代ごろの思い出話にKさんがよく登場していて、馴染みのある存在でした。実際は昨年、私の方からKさんへ澤博さんの写真が何か残っていませんかとお聞きしたところから、個人同士での交流がはじまっています。
澤家へお伺いする直前まで、スカイプを通じて東京にいる研究員の亀谷史明くん(大学院同期で、現職は藝大付属美術館学芸員)と写真やアートプロジェクトのアーカイブなどについていろいろ議論し、お互いの進捗について共有していくことなど話しました。
夜は高校の同級生Sにあって、Sの祖父へ聞いてもらった戦後の長万部の写真サークル活動について情報収集。
Sの祖父の情報では、澤のグループとは別に「長万部フォトクラブ」というものがありそちらに出入りしていた?とのこと。
ライカなど高級機材を使用する澤のような商店主や公務員系のアマチュアカメラマンの活動と、なんらかの住み分けがなされていたようです。
保管している写真をザッと見た中では、「長万部写真道場」の記述のほか「長万部カメラクラブ」というものも見ていたので、団体名の変遷があったのではないかと推測していたのですが、フォトクラブもあるとなると少しややこしい気がしてきました。存命の方がいるうちに聞き込みを進めるのがベストなのだと思います。残された時間はあまり多くないような気がしています。
2日は長万部写真道場メンバー北川武雄さんの孫で私の同級生Nに頼んで昨年亡くなった武雄さんのご自宅に保管されている写真アルバムを見させていただきました。Nとは約10年ぶりの再会となりました。(こちらは後日別記事でご報告したいとおもいます)
こういうように、長年付き合っていた家族に近い人たちと、こんな切り口で再び出会うというのは新鮮というか、まだ言葉にできないような不思議さがありました。
3日は研究員になっていただいた函館美術館学芸員の大下智一さんとインディペンデントキュレーターの大友恵理さんに長万部までお越しいただき、今後のことについてあれこれ相談させていただきました。
函館美術館とはアーカイブのための知識や技術、協働作業の可能性について、今後も密に相談させていただくことになりました。非常に心強いです!
年末年始のお忙しい時期にお会いいただいた皆様、ありがとうございました!
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